1930年頃、創業者の宇佐見薫は、愛知県から東京の下町に上京。
その当時の日本は、1923年に起きた関東大震災の影響で徐々に進行した不況が、1929年の昭和恐慌でより深刻になっていました。
そんな中、紙芝居が一大ブームに。紙芝居は見物料として飴を販売していたことから、薫は、飴づくりを始め販売していました。
太平洋戦争の前後には、丹切飴や紅白の千歳飴、組み飴や芯抜き飴、あんず水など、さまざまな飴や駄菓子を製造していたそうです。
きなこ棒は、二代目となった宇佐見昌輝が開発。当初から原材料にこだわり、他では使っていなかった黒糖を入れ自家製の黒蜜をつくり、国産のきなこと練り上げて、やわらかいタイプのきなこ棒を開発、1986年に販売を開始しました。
昭和から平成になり、2010年には、中力製菓さんの「きなこ飴」を譲り受け、2014年には、創業昭和30年の生井商店さんの「棒キナコ飴」を譲り受けました。
令和になった現在、きなこ棒を中心に製造していますが、創業以来、おいしいものをつくりたいという想いを大切に、これからも、ほっとできる、そっと寄り添える、そんな優しいお菓子作りをめざします。
沿革
- 1930年頃
- 宇佐見製菓創業
- 1935年
- 1930年に200人ほどだった紙芝居業者は東京だけで2,000人に膨れ上がった
- 1939年
- 第二次世界大戦が勃発。
- 1945年
- 東京大空襲で焼け出される。終戦。
- 1950年
- 紙芝居の最盛期。商売も軌道に乗り、家族総出で製造していた。
- 1955年
- テレビが普及し、紙芝居は次第に姿を消した。
- 1986年
- きなこ棒を発売
- 1993年
- 宇佐見製菓設立
- 2010年
- 中力製菓から「きなこ飴」を譲り受ける
- 2011年
- 株式会社鈴ノ屋設立
- 2012年
-
大入りきなこ棒発売
- 2014年
- 生井商店から「棒キナコ飴」を譲り受ける
- 2019年
-
抹茶きなこ棒販売(ヤオコー限定販売)
- 2021年
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深煎りきなこ棒発売(ヤオコー限定商品)
- 2022年
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鈴ノ屋特製きなこ棒発売(ライフ限定商品)